”訴えるところ”はどこにあったのか

今年の2月ごろ、自由学園の学校長(学園長)からこのようなメッセージが送られてきました。

小さい学校ですし、社会的な注目もされない学校ですから、ご存知ない方も多いかもしれませんが、2年ほど前、自由学園の理事会は現在、女子部男子部に分かれる中学校、高等学校の部門を統合し、共学化することを決定。それを学内外に向けて明らかにしました。

私を含む在学生徒は再三担任、教員に対して、共学化に対してしっかりと説明をしてほしいと求めてきました。

礼拝や報告など、教職員の前に立つ機会があれば、その度に共学化に対する懸念を申し上げてきました。

私の立場を明確にしておくと、共学化に対しては「反対の立場」ではありません。ただ、自由学園の共学化と言うものが何を意味し、それによってどのような教育的価値、効果を生み出し、子供たちの学びにどのように影響を与えるのか言語化した上で、為されるものであってほしいと考えています。また自由学園の経営的事情など、そうした背景があるのならば、それも明らかにするべきであると考えます。

こうしたことも念頭におきながら、学校に対し説明と真摯な対応を求めてきました。

卒業を控え、残された時間がないと意識してから、私は生徒を対象としたアンケートを取ることにしました。

共学化や、重ねて進行する学校改革を含め、一連の学校の取り組みをどのように評価し、どのように感じ考えているのかを問うものでした。

そのうちの一部ではありますが、結果をお見せしたいと思います。

82%の生徒が学校が変わっていくことに対して不安を感じると答えています。

また他の質問では90%もの生徒が学校の説明が不十分だとしています。

これを調査し、明らかにしたことによる学校側の反応は、先ほどお見せしたFacebookのスクリーンショット画像の通りです。

このデータを見るや、感情的な言葉を送りつけ、電話をかける。立場を考えるにお気持ちはわかりますが、ドラマや映画の世界のように思えます。

私としては別に感情の変容を促したいわけでも、恫喝をされたいわけでもなく、ただこのデータを見て、生徒と真摯に向き合い共に学校の共学化を考える、そう言う姿勢を見たかっただけなのです。

「新たな100年」、気持ち良く締まりの良い言葉でこの先を見据える言葉が飾られていますが、生徒の理解なしに良い学校など、実現できるはずがありません。

自由学園は生徒と共に作る、開かれた学校のはずです。創立当初の生徒、教員の関わりを見て、私は自由学園をそのような学校だと思い学んできました。入学を志したのも生徒が主体となり、ものを考え、実践する、他にない魅力を持った学校であったからです。こうした一連の学校の対応を見ると、私はこの学校で何を得たのか、何を学んだのか、疑心暗鬼になります。ただただ卒業生として悲しい限りです。

自由学園に残る後輩たちに話を聞く限り、進展もなく、着々と共学化に向けた準備が進められているとのことです。この先もおそらく生徒を無視した学校運営がなされていくのだろうと感じます。ここに私が文章を綴るのも、誰も疑問を呈することなく、全員万歳で共学化が為されたと語られることがたまらなく苦痛だからです。自由学園を離れ、このことが頭に浮かぶと非常に悲しく悔しい気持ちになりますが、「新しいフィールドで出来ることをやっていく。自由学園のことはしばらく考えることをやめよう」そう言う決意としてここに公開することを決めたのです。

この記事を書いた人

幸田良佑

2003年、山梨県生まれ。2021年、自由学園男子部高等科卒業。同年、東洋大学社会学部第二部社会学科入学と同時にニュースを専門とする番組制作会社に入社するが、1ヶ月を経たずして退職。以降、児童館、放課後児童クラブ、学童保育所、大学図書館勤務を経て特定非営利活動法人TENOHASIに入職。2022年より特定非営利活動法人わかちあい練馬 事務局長・理事に就任。